投稿者 ‘山崎 由佳’ のアーカイブ
認知言語学系研究室のイベント案内

9月24日 京都言語学コロキアム (KLC)

日時:9月24日(土)13:00~15:00
場所:Zoomによるオンライン開催
(参加を希望される方はtaniguchi.info_at_gmail.com までご連絡下さい (_at_→@) )

タイトル:発語内行為としてのフィクション制作―フィクション化の単位について―

発表者:井上優大(京都大学[院])・佐藤雅也(京都大学[院])

キーワード:フィクション制作、発語内行為、言語装置、話し手の意図、フリ、フィクション化の単位

概要:フィクション作品のフィクション性はいかにして生まれるのだろうか。現代の哲学・語用論において主流となっている見方は「作品の著者が執筆にあたって行う行為の結果としてフィクション性が生まれる」というものである。では、その行為とはいかなるものなのか。それを説明する理論が依拠する立場は3つに大別できる。(i) フィクション制作は特定の言語形式に紐付いた発語内行為であるとする立場、(ii) 話し手の意図に基づいた発語内行為であるとする立場、そして (iii) 真剣な発語内行為を行なっているフリであるとする立場である。これら3つのいずれかに分類されるどの理論も「フィクション制作という行為は、一文もしくは複数の文から構成された、作品全体未満の発話単位で行われている」という共通の前提に基づいている。本発表は、「フィクション制作は作品全体という単位で行われている」ということを示し、この前提が誤っていることを明らかにする。その上で、理論 (ii) 及び (iii) に関しては、修正を加えることで保持可能であることを提案する。

4月28日 フォーラム

日時:4月28日(木)15:00〜
場所:総合人間学部棟 1107号室/Zoom開催
(参加希望の方はtaniguchi.info_at_gmail.com までご連絡下さい (_at_→@) )
タイトル:「容器のメタファー」における〈内容物〉の具体性と〈容器〉の可視性:あふれる、こぼれる、overflow、spillの分析 

発表者:新治 柚季(谷口研M1)

キーワード:容器のメタファー、水のメタファー、境界、場所格交替
概要:水の漏出という類似した状況を示す2動詞に関して、「{涙/喜び}があふれる」、「{涙/?喜び}がこぼれる」といった制約がある。また大石 (2010) では、場所格交替における制約「喜びが胸にあふれていた」、「?胸が喜びであふれていた」が指摘された。本発表の目的は、こういった制限について、Lakoff and Johnson (1980) が提唱した容器のメタファーの知見を援用して説明することにある。実際、従来の容器のメタファー研究には、〈内容物〉同士のメタファーばかりに注目したものが多い。一方で、本発表では〈容器〉自体にフォーカスを当て、「可視性」という基準でそれらを詳細に分類したうえで用例を吟味した。この調査のもと、発表者は〈内容物〉の具体性と〈容器〉の可視性との組み合わせが、〈内容物〉の選択に影響を及ぼしているのではないかと考察する。

4月21日 フォーラム

日時:4月21日(木)15:00〜*
場所:総合人間学部棟 1107号室/Zoom開催
(参加希望の方はtaniguchi.info_at_gmail.com までご連絡下さい (_at_→@) )
タイトル:構文文法への一提案──ダブルミーニングの分析に向けて──
発表者:角出 凱紀 (谷口研D1)
キーワード:構文文法・イディオム・記号論
概要:従来の構文文法の枠組みは、イディオム(e.g. spill the beans)が持ちうる字義通りの意味の存在を軽視してきた。しかし、あるイディオムが同一コンテクスト内で非字義的な意味だけでなく字義的な意味を帯びることはしばしば観察される(e.g. ジョーク, なぞなぞ, 広告)。
そこで本発表は、ロラン・バルトに代表される二重の記号モデルを構文文法に持ち込むことによって、ダブルミーニングの分析を試みる。

*2022年度前期は基本的に木曜の15:00〜 開催予定となっておりますのでご注意ください.